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2017-05-17

草間彌生のドットと私のドットの違いとは?

昨日、銀座松坂屋の跡地にできた
GINZA SIXという建物に行ってきました。

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亡き父が銀座で働いていたので、
昔銀座でパスタをおごってもらった後、
松坂屋に寄って買い物をしたのを思い出します。

やがて時代の流れに翻弄された松坂屋は閉店を迎え
生まれ変わったのがこのGINZA SIX。

銀座6丁目の新しい商業施設は、
銀座の象徴として堂々とアピールし
人間の五感の全てを満たしてくれるような
本当に素晴らしいビルでした。

建物の中にいるだけでワクワク、ドキドキし
決してブランド品ばかりの遠い存在ではなく、
自分の中にあるものを刺激して、
引き出してくれるような
いつまでもいたくなるようなビルでした。

TSUTAYAもおしゃれだこと!
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エスカレーターを上がっていくと、
草間彌生さんのパンプキンのバルーンが
天井にふわふわ。

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実は、娘と
「草間彌生って、水玉ばっかりで、
なにがそんなにすごいんだろう。」と話していました。

確かに、水玉なんか小学生だって描けるし、
私だって描ける。

草間彌生の描く水玉と、
トールペインターの私が描く水玉と
何がそんなに違うのか、
知らないで語るのは失礼だ、と思って
「草間彌生さん」について調べてみました。

草間 彌生(くさまやよい)
1929年(昭和4年)3月22日 生まれ裕福な家に生まれ、
幼いころから草花やスケッチに親しむ。
その一方、少女時代より統合失調症を病み、
繰り返し襲う幻覚や幻聴から逃れるために、
それら幻覚や幻聴を描きとめる絵を描き始める。

水玉(ドット)をモチーフに制作する事が多いが、
これは耳なし芳一が幽霊から身を守るために全身に経で埋め尽くした様に、
彼女が恐怖する幻覚や幻聴から身を守るために、
作品全体を水玉(ドット)で埋め尽くす儀式でもある、とされる。
(以上、wikipediaより)

以下は私がまとめた略歴です。

1929年 長野県松本市で生まれる。
1945年 第一回全信州美術展覧会で入選。
1946年 京都市立美術工芸学校に入学。日本がを学ぶ。
(日本画壇に失望し、松本の家に帰る)
1952年 松本市公民館で個展
1954年 東京で4度の個展。

1955年 アメリカの画家、ジョージア・オキーフに手紙を書き、返事をもらう。
1957年 ニューヨークへ。過激な作品、パーフォーマンス。
1960年 「前衛の女王」と異名をとる。
1973年 親友でパートナーのジョゼフ・コーネルが死去。
体調を崩し日本へ帰国。小説を書き始める。
1993年 ヴェネツィア・ビエンナーレに日本代表として参加。
2009年 活動再開。絵画群「わが永遠の魂」を制作。au端末プロデュース。
2012年 ルイ・ヴィトンとの共同コレクションを発表。
2016年 文化勲章を受章。

草間彌生の水玉は、
自分を守るための水玉だったんですね!

やっぱり私の水玉とは全然違うけど、
1955年に草間さんが手紙を書いたジョージア・オキーフ
私も手紙を書きたいくらい大好き!

うちの玄関入ったところに
もう10年以上もオキーフの大きなポスターが飾ってあります。

本当は私もこんな絵が描けるといいのだけど。

国立新美術館開館10周年
「草間彌生 わが永遠の魂」
2017年2月22日(水)- 5月22日(月)

うわ、もうすぐ終わっちゃうので
天才の頭の中を覗きに行ってみなくちゃね。

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